SSブログ

理系世界 [情報化]

 会社の同僚やフリーで働く取引先の人々を見ていると、パソコンの新機能やインターネットの新しいサービスを軽々と使いこなしている人が多い。彼らの商売道具はパソコンなのだが、その「軽々」に私はいつも少し驚く。新機能や新サービス自体をどこで知り、使い方をどう覚えたのか、聞いてみたくなる。彼らを見ていると、わざわざ雑誌や書籍などを買って情報を得ているとは思えない。特に、インターネットに登場する新しいサービスはほとんどが米国で生み出されている。当初は日本語の解説書などあるはずもない。にもかかわらず、提供された機能を把握し、使う際の設定のコツをいち早く心得ているのには感心してしまうのだ。

 その点、私などは新機能や新サービスに気づくこと自体がすでに遅く、知っても、登録や設定を行う時点で内容や英語表記につまづき、利用を断念することもある。Twitterなどもそうだったが、ネットで使い方を調べたり、彼らのやり方をまねてようやく利用できるようになる始末。

 PC/IT系の世界をなにかに例えるなら、数学の問題を解くことに似ている。鍵となる方程式を知っていれば、面白いように問題が解ける。彼らは基本となる方程式を知り、問題をどこから解いていけばいいかの作法を心得ている。要するに勘がよく、「のみ込み」が早い。

 主に30代の彼らに理系か文系かを尋ねたことはないが、その吸収の速さと情報の使い方は明らかに理系のそれだと思う。なぜならば、それは身体性ではなく、「脳化」に立脚しているからだ。身体性を経由すると、のみ込みには時間がかかる。「体で覚えろ」というやつだ。もとより、インターネットのサービスやソフトウエアの新技術・新機能に手業の入る余地はない。マウスやキータイピング、そしていまどきのiPadのタッチパネル操作が身体性かというと、それらは間違いなく脳の延長であり、脳化の範疇。手と視覚と画面の間に介在するものは皆無だ。

 理系=脳化というのは短絡的かもしれない。しかしいまの社会のインフラが、理系の成果物ともいえる「プログラム」によって成り立っているのは事実だ(でも、プログラムは「言語」でできているのだが)。文系のほうこそ脳だけの世界にも思えるが、そこには必ず身体性が伴う。痛みや苦しみ、感覚がある。いまどき、理系、文系などと言っているのは私だけだろうが、次々に登場する機能やサービスを難なく使いこなす彼らに囲まれていると、数学の問題が解けなくて居残りになった高校時代を思い出す。方程式に気づく奴は早々と気づき、定時に帰る。気づかない奴はいつまでも気づかず。それが分かれ目だ。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。