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木村伊兵衛とH.C.ブレッソン [カメラ]

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恵比寿

 東京都写真美術館で「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン」展を見る。この二人のライカ使いは、同じ時代(1930〜70年代)に活躍し、互いを認め合う仲であり、その立ち位置は近い。両者を並べ観る企画の本展は、すでにこれまでの展覧会で出品されてきた作品が多いにせよ、興味深いものだ。

 木村伊兵衛の写真は、否応なく流れゆく時間の一瞬を独自の判断と反射神経で切り取っている。それゆえに鮮度が高く、その作品からは、空気感や温度、湿度が感じられ、音さえも聞こえてくる。文学性を入れない写実に徹し、力みのない明確な美的基準が魅力だ。これに対してH.C.ブレッソンの場合は、同じ反射神経でありながら、時間の流れる速度がわずかに遅く見える。また、報道的な視点が見え隠れし、物語性を埋め込んでいることが多い。もちろんそれは並みの写真家の眼ではなく、スナップの“効き”は木村伊兵衛同様に絶品だ。

 構図を考える時間もH.C.ブレッソンのほうがじゃっかん長いようだ。待ちの姿勢が伺える。木村伊兵衛は自分で決めにいき、ほとんど一振りで捉えているように思える。トリミングなどの後処理は不要、といった感がある。H.C.ブレッソンは「サン・ラザール駅裏」のように偶然と紙一重の瞬間だが、構図には厳格なものを感じた。大げさにいうと、二人の構えは日本画と西洋絵画の違いに近い。

 H.C.ブレッソンの写真を見て思うのは、背景の重要性だ。画面を構築するうえで、背景が大きな役割を果たしている。特にポートレートでは、空間を大きく入れたり俯瞰で撮るなど、背景を計算しているのがわかる。今回は両者のコンタクトシートが展示された。それらを見ると、「作品」が生まれているのは36枚中およそ1枚という割合だ。その確率で、現場の真実を捉まえている。いずれにせよ、二人ともライカという名機の力を十二分に駆使しており、眼とファインダー、レンズが直結しているようだ。使用しているのは標準レンズが多いという。

 余談だが、絵画と同じように、写真もまた実際のプリントのほうが数段いい。写真集の写真は、色調やコントラストの点で別物といえる。具体的に指摘すると、印刷は白と黒の表現の幅が狭いのだ。紙の内側から発色しているのと、紙にインクを載せているのでは大きく異なる。プリントには微妙な階調と柔らかさがあり、作品が本来もっているリアリティや品格が漂う。
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