部分 [制作]
デッサンでも油彩でもそうだが、制作を続けていくと、1枚の絵の中にうまく描けたと思える部分が出てくる。そこに光明のようなものが見える気になる。すると、欲が出てきて、うまく描けた部分を残そうという意識が働く。あるいは、その一部を全体に適用しようと考える。そのときはなにかつかんだ気になるのだが、実際のところ、うまく描けたように見えているにすぎないことが多い。絵画は、画面全体で一つの空間を構成し、調和を実現する。全体があってはじめて一部があり、一部分だけがよくできたとしても、それは絵画作品としては成立しない。
それを頭では理解していながら、こだわりを持ったその一部分を壊すことがなかなか難しい。自分の仕事を残したいという気持ちが大きく働くからだ。残りの人生の制作時間を考えると、いまなにか手がかりを残さないでどうする? という思いが頭をよぎる。それで、少しだけ進んだように見える一部分に固執してしまう。制作において、一時の固執は妨げになるだけだ。
そんな時はどうするか。方法は2つ。思い切って部分を全体になじませるか、筆を止めて時間をおく。時間をおくと、表面的な固執から離れ、冷静になれる。それで制作を再開し、壊した先に新しいなにかが見えてくる。はるかな山の頂を目指すために、足下の一石は乗り越えなければならない。
それを頭では理解していながら、こだわりを持ったその一部分を壊すことがなかなか難しい。自分の仕事を残したいという気持ちが大きく働くからだ。残りの人生の制作時間を考えると、いまなにか手がかりを残さないでどうする? という思いが頭をよぎる。それで、少しだけ進んだように見える一部分に固執してしまう。制作において、一時の固執は妨げになるだけだ。
そんな時はどうするか。方法は2つ。思い切って部分を全体になじませるか、筆を止めて時間をおく。時間をおくと、表面的な固執から離れ、冷静になれる。それで制作を再開し、壊した先に新しいなにかが見えてくる。はるかな山の頂を目指すために、足下の一石は乗り越えなければならない。
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