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テレプシコーラ [マンガ]

 山岸凉子の長編バレエ漫画「テレプシコーラ」の第2部第3巻が出た。本巻では、主人公・六花(ゆき)がローザンヌ国際バレエコンクールの準決戦に出場するまでの話が描かれている。テレプシコーラは、私が現在唯一読み続けている漫画。テクニカルなことを含めバレエをほとんど知らない私だが、子供のように続刊を心待ちにしている。
 本作では、第1部最終巻で、六花以上に有望なバレリーナであった姉・千花が自死する。その死に至るまでの展開からは目が離せず、舞台と日常との対比とともに、希望と不安が織りなす創作の世界を懸命に生きる一人の少女の姿を苛酷なまでに表現した。山岸凉子の作品に特有の、日常に潜む底知れぬ不安。創作する者が渡るのは、危うげな均衡によって成り立つ1本のロープのような道だ。その先に待つかのは希望の地か、絶望か。そしてそれがついに現実のかたちになって現れたときの衝撃。この点で本作は、文学と同等かそれ以上の生々しさを持つ。千花の死は悲しく、私は涙を流した。
 この衝撃的なエピソードに重なる音楽は、シベリウスの交響詩「トゥオネラの白鳥」である。私は、この曲を選んだ山岸凉子の作家としての創造力の確かさに感服する。トゥオネラの白鳥を聴くと、渓谷の向こうにある死の世界に一人だけで旅立つ若き踊り手の姿が目に浮かぶ。両者が表す情景はすでに私にとっては同じものとなった。
 千花を喪ったことで、六花の生命は輝きを増す。この物語は、10巻を費やした終わりから始まる物語だ。「テレプシコーラ」は千花の死によって、永遠ともいえる創造の源を得た。その点で神話的でもある。そう感じていた矢先、第3巻で登場するローラ・チャンは、千花の裏返しのような存在として描かれ始めていく。なにものをも寄せつけぬ闇をもった人物として。山岸凉子の作品では、折り紙の裏表のような二面性が幾何学模様のように立ち現れる。そこは安易なメッセージなどを差し挟む余地のない世界。この作品の奥はまだまだ深そうだ。
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